フラットな組織の運営
こんにちは!クラヴィスの松尾です。
ホラクラシー型組織を導入して早いもので5年余りが経ちました。
導入当初は、フラットな組織が『うちには合わない』と反発をくらうこともありましたが、
気づけばそういう意見もなくなり、ある意味『自然』な形で馴染んできたように思います。
とはいえ課題が全て解消したわけではなく、
その中でも未だに難しいと感じるのが
メンバー自ら『状況判断して、決めて、動く』こと。
自律自走組織を目指しているので、皆にこれができるようになってほしいわけです。
フラットとはいえ先輩・後輩の関係はあり、
・経験豊富な先輩勢から意見が多く出る
・そういったことから決めるのは先輩勢に偏る
という傾向があり、現状は後輩勢(つまり若手)からの意見がなくとも会社が動いて(回って)しまう。
逆に後輩勢(若手)からは意見があまり出てきません。
経験の差などもあるので仕方ない部分もありますが、
原因を探ってみると
・やりたいことが見つからない
・先輩勢の意見に自分の意見がかき消されている(≒ 否定されていると感じている)
といったことが根底にありました。
これは個々人の人生のステージやタイミングなんかもあると思うので、
継続して模索すれば良いのかなと個人的には思っています。
目的地を決めてそこに向かって一直線!というようなキャリアを積める人のほうが稀有で、
やりたいことが見つかっていない人がほとんどなのではないでしょうか。
(実際、過去の私もそうでした)
いろいろなものを見て体験して、様々なキャリアを積んでいくことで
やりたいことが見つかるということもあると思います。
仕事観なんかも変化していきますし。
ただ一つ確実に言えることは『経験を積む・体験をする』ことですね。
いろいろなものを経験・体験として積み上げて、今見えている視界を拡げる。
視界を拡げないと『見える景色が変わらない』ので、いろいろな経験を積むことはとても大切です。
これ、自分の存在(人格)を否定されているように感じているそうです。
自分が、自分の存在が否定されていると。
過去何度か社内でもこの話をしてきました。
結論から言うと、これは
意見の否定であって、個人の存在(人格)の否定ではない
です。
批判の対象は意見であって、その人そのものの存在ではありません。
私としては、建設的な議論の末に良い結論が生まれると考えているので
意見は徹底的にぶつければいいと思っています。
対立を避け、変に忖度をして微妙な結論に達してしまうことのほうが恐ろしい。。
『自分の存在(人格)を否定されている』と感じないようにするために必要なのは、
・昨今多くの企業で取り組まれている『心理的安全性』があること
・批判対象は課題に対する意見であって自分自身にではない、と分離して捉える力
(信頼されているからこそ意見を伝えてくれている、というように捉えられるかどうか)。
ある意味議論慣れも必要なんだと思います。
弊社でも『心理的安全性』について時間をかけて取り組んでいます。
課題と自分を分けて捉えることについても、もう少し踏み込んで解決していきたいですね。
次回はこの『心理的安全性』について書いていこうと思います!
ではまた!